デジタルシネマとは

デジタルシネマとは、デジタル方式で撮影し、上映する映画のことです。従来、映画はフィルムに撮影し、映画館でフィルムを回して上映していましたが、デジタルシネマでは、フィルムを使いません。

かわりに、HDD(ハードディスク)などにデジタルデータとして撮影・保存し、配給や上映もデジタル映写機で行います。映画製作や上映にかかるコストを軽減でき、映像の編集・加工が簡単だというメリットがあります。

デジタルシネマの方法

デジタルシネマでは、高精細画像(HD:High Definition)対応のデジタルビデオカメラで撮影し、それをデジタルデータ化してコンピューターのハードディスクに蓄えます。

デジタルプロジェクターで映し出す

その後、「ノンリニア編集機」と呼ばれるデジタルデータ用の編集機で編集して、最後に通信回線経由でデジタルデータのまま各地の映画館に送ります。そこでデジタルプロジェクターを使ってスクリーンに映画を映し出します。

脱フィルム

デジタルシネマは、光学フィルムで撮影してそれを現像し、フィルムを切り張りして編集し、完成品を何本も焼き増して映画館へ送り、映写機でスクリーンに上映するという過程をすべてデジタルデータに置き換える取り組みです。

画質の差が解消へ

デジタルビデオカメラによる映画撮影は、フィルムによる撮影に比べて大画面に映したときに画質が著しく落ちるとされ、これまで積極的に取り組もうとする動きはありませんでした。しかし、技術の進歩により、ビデオカメラとフィルムの画質の差が解消されました。

ルーカス監督が主導する映画のデジタル化は、どのように進んでいるのでしょうか。日本の最前線の動きを見てみましょう。

デジタルカメラ VCR

デジタルカメラのメカニズムの中でDigital VCR(Video Cassette Recorder)、特にヘリカルスキャンのテクノロジーの発達が著しいです。

VCRの原理

VCRの基礎原理は、電気信号を磁気テープに記録するという意味でオーディオのテープレコーダーと同一です。

ビデオ信号

しかし、ビデオ信号は、オーディオの数百倍という周波数と広帯域を持っています。

ビデオ信号の高い周波数に対応するためにはテープの走行スピードを速めればよいことになりますが、それではテープの物理量(1時間のテープが数秒で終わり、テープの分量が膨大になる)に問題が生じてしまいます。

テープはドラムの周囲を回転しながら映像を記録

そこで、テープの走行時間を変えずにドラムを高速回転し、テープはドラムの周囲を回転しながら映像を記録するメカニズムにしたのです。

ソニー製HDデジタルビデオカメラ「HDCAM24P」

ソニー製HDデジタルビデオカメラ「HDCAM24P」は、ジョージ・ルーカス監督が「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」の撮影で使いました。「1080/24P」という撮影規格に基づいたHDデジタルビデオカメラです。この機種の登場が、映画制作のデジタル化への追い風になりました。

1080/24Pとは

「1080」とは、画面に現れる有効走査線の数のこと。普段、私たちが見ているNTSC方式のテレビ画面(走査線480本)の約2倍、フィルム並みに美しいと言われるハイビジョン(同1080本)と同等のきめ細かい画像を撮影することができます。

1秒間に24枚の画像

「24」とは、1秒間の画面を構成する画像の枚数を示します。NTSC方式のテレビ画面は1秒間に30枚、光学フィルムを使う映画は1秒間に24枚の画像で表現されます。1080/24Pは、ビデオカメラであっても映画と同様の感覚で撮影ができるように配慮した規格なのです。

プログレッシブ

「P」とは、プログレッシブ(順次走査)を意味します。通常のテレビ放送は、有効走査線を1本おきに走査していくインターレース(飛び越し走査)と呼ばれる方式で放送されています。

インターレースより画質が向上

これに対し、プログレッシブはパソコンの画面と同じく、有効走査線を上から下まで順番に走査していきます。このため画面のちらつきも少なく、同じ有効走査線ならインターレース方式に比べて画質が格段に向上します。

つまり、1080/24Pは、フィルムに近い画質を実現した画期的なビデオカメラなのです。

ライトが少なくて済む

デジタルカメラでは、フィルム撮影より便利になる点もあります。最大の利点は、撮影に必要なライトが少なくて済むことです。

10分の1ほどの光量で撮影できる

フィルムの場合、撮影時には被写体にかなりの量の光を当てる必要があり、十数個ものライトを使います。これに対し、HD対応ビデオカメラは、その10分の1ほどの光量で撮影ができてしまいます。

カメラマンとスタッフの2人だけ

少量の光でも撮れるHD対応ビデオカメラの強みは、特に野外で遺憾なく発揮されます。ある害の制作では雨がしたたり落ちる繁華街の雑踏を撮影しましたが、カメラマンとカメラマンに傘をさしかけるスタッフの2人だけで無事、撮影できました。フィルムで撮るとなるとライトを多数用意しなくてはならず、人もカネも時間もかかっていたところです。

HDシステム

High-definitioni image capture

HD、つまりハイディフィニションシステムは、1981年のSMPTEの展示デモンストレーションを皮切りに、主にアメリカと日本を中心に発展してきたフォーマットです。

60i

HDは60Hzでインターレスし録画されるシステムで、その方式を略して60iと呼ばれています。

NTSC方式の525本に対して約2倍の1,125本

走査線の数はNTSC方式の525本に対して約2倍の1,125本となり、文字通りHigh Difinition(高解像度)を持っています。しかしHDシステムは世界統一規格になってはいません。ヨーロッパではEC統一のHD-MAC規格で走査線は1,250本になっています。

24f/sのフィルム素材からビデオ信号への変換

現状の問題点として、24f/sのフィルム素材からビデオ信号に変換する際は、本来、60Hzには30f/sで対応するべきところ、2枚のフィルム画像を5フィールド分の画像に変換せざるを得なくなってしまいます。換言すれば24f/sに対して60Hzでは2-3プルダウンを経て60iに変換しなくてはならないのです。

解像力や画面上のフリッカーも進歩

従って、インターレスでは静止画は問題ありませんが、カメラや被写体が動くとき解像力が低下し、動きのスムーズさに欠けるという現象が起きる可能性があります。

1/60f/s

しかし、現在は、インターレスだけでなく、高周波数を用いるプログレッシブシステムも可能でNTSC方式でも525本の走査線を1/60f/sで一気に操作するので解像力や画面上のフリッカーも著しく進歩したのです。

NTSC、PAL、SECAM

HDはNTSC、PAL、SECAMとシステムによって統一見解は出ていないものの、その走査線数、画素数、フレームのアスペクトレシオ(画面比)を改善し、映像のクオリティーはブラウン管のみならず、大型画面のディスプレイにまで適応しつつあります。

ENGとは

ENG-Electronic News Gatheringの略称。ビデオカメラによるニュース取材システム。EFPとはしばしば区別されます。ビデオワークの即時性を生かした報道のシステムです。

映画の発展史(年表)

世界と日本の映画技術史
1889 アメリカのト―マス・エジソン研究所がキネト・グラフ(のぞき箱式の映画)を発明
1897 インドのボンベイで記録映画の撮影開始
1899 吉沢商店が国産の映写機を発売する
1902 フィルムの平均の長さが50フィート(15m)から、600フィート(183m)に伸び、さらに長時間の物語展開が可能になる
1903 着色方式によるカラー映画、パテカラー作品、東京で公開
1906 東京・真砂座で染色機応用極彩色活動写真(パテ―カラー)『ドン・キホーテ』その他を上映
1907 大阪で最初の映画館が発足
インドのカルカッタで、J・F・マダンが映画興行チェーンを展開
1908 吉沢商店、東京目黒行人坂に日本で最初の撮影所を建設、劇映画の作成を本格化
1912 日本活動写真株式会社(略称:日活)、既成四社の合併による日本で最初の大手映画会社として発足
1913 日活向島撮影所建設
1914 小林喜三郎ら、天然色活動写真株式会社(通称:天活)を創立
1917 下川凹天ら、天然色活動写真株式会社で日本で最初のアニメーション映画を作る
1918 インドにて、映画法制定、検閲制度が確立
1919 ソビエトの映画産業が国営化され、モスクワに世界初の映画学校である全ソ国立映画大学が設立される
1920 国際活映株式会社(通称:国活)創立
1922 アメリカのテクニカラー映画「海の関所」がニューヨークで公開
1923 横浜シネマ商会創立。記録映画、教材映画、アニメーション映画などの分野で大きな役割を演じることになる
1925 アメリカにて、チャールズ・チャップリンが「黄金狂時代」を公開する、彼の作品中最も成功した伝説的作品となり、サイレント映画の中でも最高レベルの興行収入を上げている
東京放送局(NHKの前身)がラジオ放送を開始
1926 ドイツのUFA社でF・W・ムルナウが見事な映像表現の「ファウスト」を製作する
アメリカで作成された「ダグラスの海賊」は赤・青2色分解方式のテクニカラー(総天然色)で撮影された
初めての映画であり、当時この工程処理はたいへん高くついた
衣笠貞之助が衣笠映画聯盟を設立、前衛的な映画の製作を目指す
1927 皆川芳造、最初のトーキースタジオ昭和キネマを設立。トーキー映画の試作にかかる
ハリウッド映画「つばさ」が、第1回アカデミー賞において、初の最優秀作品賞と技術効果賞を受賞、クライマックスのシーンでは、高さ75フィート(約23m)の足場を作り、そこに15台のカメラを配置したとされる
1928 ハリウッドではトーキーへの移行が本格的に始まるが、キング・ヴィダ―の「群衆」など、サイレント映画の最後の傑作群が世に出る
1929 イギリスでアンソニー・アスキス(1902-68)が傑作『ダートムアのコテージ』を、いまにも消えなんとするサイレントで制作する
アメリカの本格的トーキー作品「進軍」、新宿武蔵野館で公開
1930 ロシアのヴワディスワフ・スタレーヴィチ(1882-1965)による「狐のルナール」(狐物語)が
ストップモーションの技術を成功させた好例となった
1931 フリッツ・ラングのスリラー映画「M」がドイツで公開、費用削減のため音声付きは全体の3分の2だけだが、革新的なボイスオーバー・ナレーションだった
インドにて初のトーキー映画「アーラム・アーラー」が完成
1932 日本にて、写真化学研究所、トーキー・スタジオを建設
1933 日本にて、太秦発生映画株式会社創立
1934 日本にて、富士写真フィルム株式会社設立され、映画用35ミリ・ポジフィルムの国産化が開始された
1935 日本にて、極東現像所(のちの東洋現像所、現IMAGICA)設立総会が行われた
1936 日本にて、NHKが円盤録音機による放送を行う
1937 東京・浅草に浅草国際劇場(定員4059人)開場、レビュー兼用でかつて最大の映画館であった
1938 収益を上げるために、ユニバーサル社が「魔人ドラキュラ」と「フランケンシュタイン」を2本立てで再公開する
1939 「オズの魔法使」が、第12回アカデミー賞の特殊効果賞にノミネート、モノクロの世界から、まばゆい色彩の世界への転換に驚かされる、当時では珍しいカラーフィルムや特殊効果が素晴らしい
1940 日本にて、大手新聞4社のニュース映画部門が合併して日本ニュース映画が発足
1941 日本全国の映画館でニュース映画、文化映画の強制上映が実施される
1942 新興キネマ、大都映画、日活の製作部門が合併して大日本映画製作株式会社(戦後の大映)発足
1945 「白い恐怖」が、第18回アカデミー賞の特殊効果賞にノミネート、奇抜でシャープな悪夢のシーンは見る者の脳裏を刺激した
1949 富士フィルム、映画用35ミリ・カラーフィルム、フジカラー発売
1950 富士フィルムのカラーフィルムが日映ニュース「第208号」に使用される
1951 日本最初のカラー劇映画「カルメン故郷に帰る」公開
1952 アリフレックス撮影機が使われはじめる
第1回インド国際映画祭が開催された
1953 日本にて、NHKテレビの本放送が開始された
イギリスにて、エリザベス2世の即位を記念し、記録映画「女王戴冠」が製作される
ジョージ・パル監督の「宇宙戦争」が、第26回アカデミー賞の特殊効果賞を受賞、デジタル技術もCGもない時代の手作業のSFXで撮られた映画だが、シーンによっては現代の技術に負けない仕上がりである
1954 国産8ミリ・カメラ、シネマックス8A発売。2万2500円
8ミリ映写機が発売される
インドにて、第1回インド国際映画祭が開催された
東宝の特撮技術をフルに生かすための作品として「ゴジラ」が作成された。ゴジラの着ぐるみの中に人間が入って大胆に四肢を動かし、迫力のある動きを再現することに成功
1956 セシル・B・デミル監督の「十戒」、第29回アカデミー賞の特殊効果賞を受賞、モーゼが紅海を分けるシーンに多重オプチカル合成を利用している
東宝がゴジラに次ぐ本格的な怪獣映画として「空の大怪獣ラドン」を制作、初めてのカラー怪獣映画として迫力のある作品となった
1957 国産8ミリ・カラー・フィルム富士ASA10発売、現像こみ、1750円
初めてカラーで撮影されたイギリスのホラー映画、ハマー・フィルム・プロダクションの「フランケンシュタインの逆襲」が公開される
東宝より、総天然色シネマスコープ空想科学映画「地球防衛軍」製作、宇宙ステーションやロケット、円盤、戦車、ロボットなどが画面狭しと暴れ回る
大映の「透明人間と蠅男」、特殊技術を担当した的場徹は、マット・プロセスやシュフタン・プロセス等の撮影技法を駆使して作品を作り上げた
1958 大映が映画「日蓮と蒙古大襲来」を制作、日本映画全盛時の、膨大な数のエキストラによる大モッブシーンが迫力のある映像となっている
1959 松竹と東宝がそれぞれニューヨークに事務所を設立する
第33回アカデミー賞の特殊効果賞を受賞した「タイム・マシン」、未来の世界での核戦争シーンは、ミニチュア・ワークスの大スペクタクル、溶岩はオートミールを使用するというアイデアも秀逸
東宝が初めて挑んだ宇宙空間を舞台とする近未来科学戦争絵巻「宇宙大戦争」、映像の魔術師・円谷英二の力作
東宝製作の映画「日本誕生」で新開発の国産光学合成装置が駆使され、三重、四重に溶岩や炎の合成処理が丹念に施された
1960 劇場用長編日本映画作成本数は547本(うち、カラー239本)、日本映画史上最高。当時、世界最高でもあった
インドのプネーにインド映画研究所(のちの映画TV研究所)設立
東宝の日米合作映画「大津波」、東宝特撮スタッフが最大のスケールで描いた作品だが、日本ではほとんど公開されていないため幻の映画ともいわれる
東宝の製作した「太平洋の嵐」は、ダイナミックな特撮が実写以上にドラマチックな戦場場面を再現し、戦記映画の中でも最高峰といえるだろう
「ガス人間第一号」は東宝製作のSF映画、ガス人間の屈折した心理描写をたくみに表現した秀作
1961 ハリウッドにて「ウエスト・サイド物語」が公開、ミュージカル史上最多となるアカデミー賞10部門受賞
第34回アカデミー賞特殊効果賞を受賞した「ナバロンの要塞」、特筆すべき特殊効果は、嵐の中で船が難破する時、凄まじい風雨がレンズに叩き付けて画面が水浸しになるところであろう
東宝の特撮映画「モスラ」製作、これまでの路線とは打って変って、現代の夢物語としてのファンタスティックな怪獣映画であった
大映「釈迦」製作、製作費7億円、多様な特撮シーンも見事、日本初の70ミリ映画として大きくその名をとどめた
1962 東宝が「キングコング対ゴジラ」製作、アメリカ映画の怪獣王キングコングとの夢の対決が、日本を舞台に繰り広げられる。すでに完成の域に達したミニチュアワークで緊迫感を盛り上げる素晴らしい特撮技術が見られる
1963 東宝による映画「海底軍艦」製作、軍艦の威容を表すため、人間との合成を一切用いず、軍艦のミニチュアとそれに絡む水・煙・大気によってその重量感を描き出した
台風そのものを一つの映画の中心に本格的な特撮をもって表出した作品として、大映の「風速75メートル」が製作された
1964 東宝が「モスラ対ゴジラ」製作、モスラの細かい動きはラジコン操作によるもので、ゴジラの方もラテックス製のぬいぐるみを使用して軽快な動きを演出した
「三大怪獣・地球最大の決戦」で、キングギドラが初登場、ゴジラ・ラドン・モスラを相手とする決戦シーンは息をのむ迫力、東宝特撮陣が持てるミニチュアワークと操演技術を最大限に駆使した作品
大映がアメリカのハロルド・ヘクト・プロダクションと合作した大作「あしやからの飛行」、巨大セットに合わせて作られたミニチュアワークが、目を見張る完成度であった
1965 007シリーズの第4作「007/サンダーボール作戦」が、第38回アカデミー賞特殊視覚効果賞を受賞、ジェットパックに水中戦車、水中スクーターと大がかりなメカが迫力満点
「フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)」製作、フランケンシュタインの身長の設定上、ミニチュアの縮尺サイズを1/12と、従来の倍にしたことで、細部まで克明なミニチュアを使用することができた
大映の特撮怪獣映画第一弾として放たれた「大怪獣ガメラ」は、興行的にも怪獣映画としても大成功を収めた
1966 「ミクロの決死圏」が第39回アカデミー賞特殊視覚効果賞を受賞、まるで絵画のような人体の内部をデザインしたのは20世紀最大の芸術家サルバドール・ダリで、ダリならではの幻想的でシュールなデザインをリアルに映像化している
大映が「大魔神」製作、4.5メートルの魔神が、精密なミニチュアの家屋をぶち壊すクライマックスシーンが素晴らしい作品
「大魔神」のヒットを受け、続編「大魔神怒る」も制作、前作よりもさらに特撮技術が進化し、三重四重の合成カットが使用されている
ガメラ第二作「ガメラ対バルゴン」製作、前作で見せたあの大映独自のアイデアの奇抜さと特撮技術の秀逸さは見事受け継がれており、シリーズの中では出色の出来ばえ
1967 日本ビクター、VTRを開発
松竹が初の怪獣映画「宇宙大怪獣ギララ」製作、湖が煮えたぎるシーンの特撮は、化学合成で焼きこみ、二重合成をしたものだった
怪獣親子の愛情をテーマにした「大巨獣ガッパ」が日活の初の怪獣映画として製作された、ガッパが街を上から見下ろした形で破壊していくシーンはよくできたミニチュアセットでリアルな雰囲気があった
大映の「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」、ガメラの吐く光線は、フィルムに直接キズをつけ、色テープを貼るという独自の方法をとっている
1968 「2001年宇宙の旅」が公開される。スタンリー・キューブリックが作家のアーサー・C・クラークと組んだ、究極のSF映画と称される作品である
第41回アカデミー賞特殊視覚効果賞を受賞した「2001年宇宙の旅」、スタンリー・キューブリックが作成に4年もの期間を費やしたSFX映画の大作
大映のガメラシリーズ「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」製作、今作より初の宇宙怪獣が登場
1969 ソニー、VTRを開発
松下電器、VTRを開発
「緯度0度大作戦」が東宝により制作、この作品の特撮で注目すべきは、巻頭に描かれる海底火山爆発の見事な造形である
東宝「日本海大海戦」は、横須賀市に保存されている戦艦三笠を使用したロケシーンと、プールで撮影された海戦シーンが大胆に合成され、息を呑む迫真の画面が作り上げられた
大映の特撮戦記映画「あゝ、海軍」、全編の5分の1を海空戦の特撮が占めており、スピード感のあるシーンが描き出されている
1970 ハリウッド映画「大空港」が、爆弾を乗せた旅客機とメロドラマと災害とテロリズムを融合させる
1971 大映(大日本映画製作株式会社)破産
大映「大魔神逆襲」製作、前2作より特撮シーンを多くし、破壊ショットも今までにない手の込んだ画面を見せている
1972 映画製作会社、南オーストラリア・フィルム・コーポレーションが、オーストラリアに設立される
第45回アカデミー賞特別業績賞(視覚効果)を受賞した「ポセイドン・アドベンチャー」、大津波で船体がひっくり返る瞬間はスタントと特殊効果が絶妙に絡み合い、息をするのも忘れてみてしまう超大作
1973 東宝による映画「日本沈没」、中野昭慶が特撮監督となって以来、初めて手がけた特撮スペクタクルの大仕事であった
1974 8ミリ映画のブーム、日本国内でカメラが年間32万4000台売れる
東宝が「ノストラダムスの大予言」製作、人類を絶滅においやるというプロットを用い、特撮はその要所要所に挿入された
1975 アメリカにてスティーブン・スピルバーグ監督作品の「ジョーズ」が初の興行収入1億ドル突破、社会現象となった
1976 アメリカのパラマウント社がメジャーな撮影所では初めてビデオでの映画の販売を許可する
第49回アカデミー賞特別業績(視覚効果)賞を受賞した「キング・コング」、全長18メートルの機械仕掛けの実物大キング・コングが登場
「2300年未来への旅」が第49回アカデミー賞特別業績(視覚効果)賞を受賞(「キング・コング」と同時受賞)、老いと死という深いテーマを持つSF超大作
東宝製作の「大空のサムライ」、ミニチュアのちっぽけな零戦が俳優顔負けのリアルな“演技”を見せてくれ、素晴らしい特撮シーンとなっている
1977 日本での8ミリ・カメラの生産ピークに達する、161万台
1978 東映セントラル・フィルム発足、低予算の野心作の製作をめざす
第51回アカデミー賞特別業績(視覚効果)賞を受賞した「スーパーマン」、アメコミ映画ブームの原点ともいえる作品、スーパーマンを飛翔させるシーンは困難を極めた
1979 映画「エイリアン」が、第52アカデミー賞の視覚効果賞を受賞、H・R・ギーガーのデザインによるエイリアンはインパクトが大きく、後のSF映画に多くの影響を与えた
1980 インドの映画金融公社と映画輸出公社が合併し、映画振興会社になる
1982 第55回アカデミー賞視覚効果賞にノミネートした映画「ブレードランナー」、ミニチュアの都市を65ミリのネガで撮影されたこの映像には、CGとは違う手作りの良さがある
1983 日本にて、VTRの普及率が23%に達する
1984 NHK衛星テレビ放送開始
アイヴァン・ライトマンが「ゴーストバスターズ」を監督、コメディと特殊撮影を融合させて大成功を収めた
第57回アカデミー賞視覚効果賞にノミネートした「2010」、これは「2001年宇宙の旅」の続編でありながら、アクション映画という異色作で、予算も時間もなかったスタッフの工夫が随所でみられる
映画「ゴースト・バスターズ」が第57回アカデミー賞視覚効果賞にノミネート、かわいい顔して街を破壊するマシュマロマンが強く脳裏に焼き付く
1985 第一回東京国際映画祭開催
1986 第59回アカデミー賞視覚効果賞にノミネートした「リトルショップ・オブ・ホラーズ」、宇宙吸血植物が歌って踊る異色のミュージカルコメディ、低予算ながら随所に工夫がみられる
1989 ソニー、アメリカの大手映画会社コロンビアを46億ドルで買収
NHKが衛星放送を開始
第62回アカデミー賞視覚効果賞を受賞した「アビス」、壮大な物語の映像化のため多種多様な視覚効果が全編に投入されているまるでSFXの見本市のような作品
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー・パート2」が、第62回アカデミー賞視覚効果賞にノミネート、マイケル・J・フォックスが一人3役で演じている登場人物が、ビスタグライドというシステムを使用して同一画面に登場するシーンに驚かされる
1990 松下電器、アメリカのMCAを61億ドルで買収
第63回アカデミー賞視覚効果賞を受賞した「トータル・リコール」、7000万ドルをかけた超大作だけに、次から次へとSFXや特殊メイクなどの見せ場が出てくる
1991 第64回アカデミー賞視覚効果賞にノミネートした「バックドラフト」、火災現場の映像は実際の炎と、わずかなCGでリアリティを追求した。骨太なストーリーに引き込まれる名作
1992 インドにて、ヒンディー語による衛星放送「ZeeTV」開局
1993 にっかつ倒産。1912年創立の世界で最も長い歴史を持つメジャー映画会社のひとつがこれで歩みを止めた
1995 ピクサー社の「トイ・ストーリー」は、CGI(コンピューター・アニメーション)を用いたアニメーション映画の先駆けとなった
1997 インド初のシネコンがニューデリーにオープン
1999 ハリウッド映画「マトリックス」では、時間の流れを遅くし、CGによる仮想現実感を追及している
2000 インド映画「ラガーン」が、アカデミー賞外国語映画賞にノミネート
2004 オーストラリア出身のジェイムズ・ワンが、独創的で身の毛のよだつ「ソウ」シリーズの1作目を監督する
2007 ギョーム・カネ監督が「唇を閉ざせ」で、フランスらしさとジャンルの鉄則を見事に融合させる

出典:
日本映画史4(岩波書店)
世界シネマ大事典(三省堂)
DVDで見るアカデミー賞映画200(アルク出版企画)
インド映画完全ガイド(世界文化社)
大特撮 日本特撮映画史 コロッサス編(朝日ソノラマ)

日本映画テレビ技術大賞(経済産業大臣賞)の歴代の受賞者

「日本映画テレビ技術大賞」(経済産業大臣賞)の歴代の受賞者の一覧表(リスト)です。この賞は、映画やテレビの分野でとくに優れた制作や技術開発をした個人または組織に贈られます。1997年度に創設されました。全国のテレビ局や映画会社などでつくる「日本映画テレビ技術協会(MPTE)」が毎年選定しています。例年10~11月ごろに授賞式が行われます。

「技術開発賞」「映像技術賞」の受賞者が候補に

日本映画テレビ技術大賞(経済産業大臣賞)は、日本映画テレビ技術協会が毎年8月に発表している「技術開発賞」と「映像技術賞」の受賞者の中から選びます。技術開発賞と映像技術賞は毎年計10組以上おり、その中で最も優れた人または組織が「大賞」に輝きます。技術開発賞は1947年、映像技術賞は1961年に創設されたたいへん歴史のある賞です。

MPTEアワーズ

同協会では、これらの賞をまとめて「MPTEアワーズ(AWARDS)」と呼んでいます。

2010年代の受賞者

受賞者 理由
2017
(第70回)
白組VFXチーム VFX技術「シン・ゴジラ」
2016
(第69回)
NHK 放送技術研究所
西村敏(にしむら・さとし)
スマホやパソコン、テレビといった端末の種類を問わず動画配信・再生ができる「MPEG-DASH 動画視聴プレーヤー」の開発
2015
(第68回)
ソニー
プロフェッショナル・ソリューション事業本部(VPS事業部設計3部とCCS事業部企画部)
30型有機EL搭載4kマスターモニター BVM-X300の開発
2014
(第67回)
日本放送協会
鈴木聡、増村美都
OAG技術
震災ビッグデータ file3"首都パニック"を回避せよ
2013
(第66回)
朋栄
冨田光浩、松永功介
フル4k解像度による高速度カメラ「FT-ONE」の開発
2012
(第65回)
富士フイルム
村上光、白井英行、豊嶋悠樹、大関勝久
デジタルセパレーション用白黒レコーディングフィルム「ETERNA-RDS」 の開発
2011
(第64回)
日本放送協会
「坂の上の雲」VFXチーム
代表 西垣友貴
スペシャルドラマ「坂の上の雲」
第2回「青雲」~第5回「留学生」のVFX
2010
(第63回)
「劔岳 点の記」製作委員会
木村大作
劔岳 点の記の撮影

2000年代の受賞者

受賞者 理由
2009
(第62回)
「パコと魔法の絵本」製作委員会
ルーデンス
CGディレクター 増尾隆幸
VFXスーパーバイザー 柳川瀬雅英
オムニバス・ジャパン
コンポジター 石塚悟
「パコと魔法の絵本」のVFX
2008
(第61回)
STUDIO4℃
坂本拓馬
「鉄コン筋クリート」のアニメーション技術
2007
(第60回)
日本放送協会
田村幸英
「NHKスペシャル 巨樹 生命の不思議~緑の魔境・和賀山塊~」 の撮影
2006
(第59回)
監督
秋山貴彦
「HINOKIO」 のVFX技術
2005
(第58回)
松下電器産業
パナソニックAVCネットワーク社
システム事業グループ
システムAVビジネスユニット
高速、耐衝撃・振動、大容量な放送用半導体メモリーシステム「P2」の開発
2004
(第57回)
ソニー
HDCAM-SR開発グループ
HDCAM-SR VTR
2003
(第56回)
日本放送協会
佐々木剛、中野秀之、野村宏
「NHKスペシャル 大河出現 タクラマカン砂漠 ホータン川」(日本放送協会)の撮影
2002
(第55回)
富士写真フイルム 足柄研究所
河合清、村上光
フジカラー映画用カラーネガティブフィルムReala 500Dの開発
2001
(第54回)
日本放送協会
牟田俊大
「アジア知られざる大自然 青い宝石 淡水の恵み 亜寒帯の湖と湿原」の撮影
2000
(第53回)
全国朝日放送
安部学、阿部良幸、吉田喜平、春日康志、監物直
マルチフォーマット・カラーバー

1990年代の受賞者

受賞者 理由
1999
(第52回)
日本放送協会
小山光浩、石毛宏幸、郡司真、泰博孝、落合厚彦、岡本浩周
「延長17回 横浜 VS PL学園・闘いの果てに」(日本放送協会)の撮影
1998
(第51回)
ソニー
池和夫とその開発グループ
名雲文男とその開発グループ
HDVTR「HDCAM」の開発